永田大輔『アニメオタクとビデオの文化社会学―映像視聴経験の系譜』青弓社
1980年代に拡大したビデオというメディアは、オタク文化の代表とも見なされるアニメの視聴経験をどのように変えていったのか。アニメオタクはビデオを利用することを通じて、どのような映像文化を形成し、そこにはいかなる社会的な意味があったのか。
1970年代後半から80年代のアニメブームと呼ばれる時期に焦点を当て、「ビデオジャーナル」「アニメージュ」「Animec」「アニメV」などの雑誌を読み込んで、アニメファンのビデオ利用によってアニメが個人の趣味として立ち現れるようになったプロセスを描き出す。
ビデオがアニメの保存や操作を可能にしたことでファンの交流を促して、「趣味としてのアニメ」の新たな流通経路を作り出し、それが個人の収集(コレクション)やレンタル市場の形成につながっていった。ファン・産業・技術が絡み合いながらアニメ独自の市場を形成した1980年代のうねりを照らし出し、ビデオが切り開いた映像経験の文化的なポテンシャルを明らかにする。
- 序 章 映像を趣味にする経験とビデオ技術
- 第1部 アニメを趣味にする条件とビデオ技術
第1章 ビデオのファン利用とオタクという主体
第2章 ビデオにおける「教育の場」と「家庭普及」――一九六〇年代後半―七〇年代の業界紙「ビデオジャーナル」にみる普及戦略
第3章 「テレビを保存する」ことと読者共同体の形成――アニメ雑誌「アニメージュ」を事例として - 第2部 アニメが「独自の趣味」になる過程とビデオ技術
第4章 アニメ雑誌における「第三のメディア」としてのOVA――一九八〇年代のアニメ産業の構造的条件に着目して
第5章 コンテンツ消費における「オタク文化の独自性」の形成過程――一九八〇年代のビデオテープのコマ送り・編集をめぐる語りから
第6章 アニメの制度化のインフラとしてのアニメ制作者の形成――一九七〇―八〇年代の労働規範に着目して - 第3部 ビデオを通じて再定式化される「オタク」経験とアニメ文化
第7章 ビデオをめぐるメディア経験の多層性――「コレクション」とオタクのカテゴリー運用をめぐって
第8章 ビデオ受容空間の経験史――「趣味の地理学」と一九八〇年代のアニメファンの経験の関係から - 終 章 映像視聴の文化社会学に向けて
- 引用・参考文献
- あとがき
田中東子『オタク文化とフェミニズム』青土社
わたしたちの消費は「正しい」のだろうか
金銭と時間の投資、心身の過剰な労働、性的消費との葛藤…、わたしたちと「推している」対象のあいだにはさまざまな問題が浮かびあがってくる。しかし、その活動に喜びが見出されることは間違いない。喜びと苦しさとが入り混じるその実践をすくい取りながら、「推し活」社会の現在地を描きだす。「推し活」論の決定版!
エンターテインメントをめぐるモヤモヤを考えるための補助線となる書。
- はじめに
- Ⅰ 「推し活」社会と私たち
第1章 「推し活」社会の現在地
第2章 推し活と労働
第3章 オタク消費を考える - Ⅱ アイドルたちがみせるもの
第4章 アイドルたちは何を開示しているのか?
第5章 多様化する男性アイドル――若手俳優・ボーイズグループ・王子たち
第6章 ジャニーズ問題と私たち――性加害とファン文化の不幸な関係 - Ⅲ オタク文化とフェミニズム
第7章 〈スペクタクル〉な社会を生きる女性たちの両義性
第8章 娯楽と恥辱とルッキズム
第9章 自由と抑圧のはざまで「かわいさ」を身にまとう――「男の娘」を考える
第10章 のがれること・つくること・つながること - あとがき
森川美生, 大森一輝『「もう差別なんてない」と思っているあなたへ―アメリカの経験から日本の現在と未来を考える』小鳥遊書房
「差別」でなく「区別」ならいいの?
差別をなくそうとするのは正義の押し付けなの?
ジェンダー・ギャップ指数が世界最低レベルのこの国では、進学、就職、結婚と「世間」に踏み込んでいくほど、女性であることで別扱いを受けるし、外国人や自己主張をするマイノリティが増えるなか、ネット上でもリアルでもヘイトが蔓延している。そう、「差別」は、どこにでも存在しています。見えない/見ないだけ。
自分が何に縛られているのか、
本書を通して、一緒に考えましょう。
- はじめに 人種や性のグラデーションが強引に切り分けられた世界を生きる
- 第Ⅰ部 ラディカルに考える
第1章 「逆差別」論を考える
第2章 「差別ではなく区別」ならいいのか? - 第Ⅱ部 質疑応答
第3章 差別反対論は個人の自由を抑圧する?— 学生との対話 - 第Ⅲ部 反「反差別」論に反論する
第4章 差別はなくならず、なくそうとするのは独善・正義の押し付けなのか?— 公民権運動から学ぶ
第5章 差別などもうない?—「女らしくない」選択をした女性が肩身の狭い思いをするのは当然なのか? - おわりに
- 自分が何に縛られているかを自覚する
- 参考文献・読書案内
- 公民権運動年表
マーク・フィッシャー『K-PUNK アシッド・コミュニズム―思索・未来への路線図』Pヴァイン
『資本主義リアリズム』で広く知られる思想家/批評家、マーク・フィッシャーの人気を決定づけたブログ「K-PUNK」からのベスト・セレクション、ついに完結! 第三弾は、60年代のアメリカ~イタリアのカウンター・カルチャーを再訪し、私たちが「資本主義リアリズム」からもっとも解放された瞬間を分析する、未完の「アシッド・コミュニズム」ほか、「高級化する左翼」を厳しく批判し英国内で激しい論争を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」をはじめ、「未来への可能性」をめぐる彼の舌鋒鋭いエッセイ/論考を収録。
- 目次
- 日本語版編者序文
- 第五部
私たちは未来を創造しなければならない:インタヴュー
これからも、物ごとは変わることができる──ローワン・ウィルソンによる『レディ・ステディ・ブック』のためのインタヴュー(二〇一〇年)
資本主義リアリズム──リチャード・ケープスによるインタヴュー(二〇一一年)
今、目先にあるもの──『オキュパイド・タイムズ』(二〇一二年)によるインタヴュー
ポスト資本主義のヴィジョンが必要だ──アンチキャピタリスト・イニシアティヴによるインタヴュー(二〇一二年)
「未来を創造しなければならない」──マーク・フィッシャーとの未公開インタヴュー(二〇一二年)
憑在論、ノスタルジア、失われた未来──ヴァレリオ・マヌッチ、ヴァレリオ・マッティオリによる『ネロ』誌のためのインタヴュー (二〇一四年) - 第六部
私たちは、あなたを楽しませるためにここにいるのではない:思索
一年後……
スピノザ、k-punk、ニューロパンク
なぜ不合意(ディセンサス)なのか?
新コメント・ポリシー
コメント・ポリシー(最新版)
慢性的な気力喪失
オイディプスをサイバースペースで生かす方法
われら教条主義者(ドグマティスト)
『ロンドンライト』にあふれた街
No Future 2012(ニック・キルロイによせて)
嘲笑は恐るるに足らず(ちょっとしたお返し)
灰色のアジトを突破せよ
実在抽象(リアル・アブストラクション)──現代世界への理論の応用
いや、仕事なんてしたことない……
新自由主義時代における英国の恐怖と貧困
ヴァンパイア城からの脱出
なんの役にも立たない - 第七部
アシッド・コミュニズム
アシッド・コミュニズム(未完の序編)
カウンターフューチャーへの遡行──『K-PUNK』後書き - 索引
山田圭一『フェイクニュースを哲学する―何を信じるべきか』岩波書店
他人の言葉、うわさ、専門家の発言、マスメディアの報じるニュース、ネット発のニュース、あるいは陰謀論……、私たちは瞬時に莫大な情報を手にする一方、時に何を信じたらいいのか、わからなくなってしまう。本書では、「知る」ことを哲学的に考察し、「真理を多く、誤りを少なく」知るための方法、そしてその意味を問う。
- まえがき
- 序 章 フェイクニュースとは何か
- 第1章 他人の言っていることを信じてもよいのか
- 第2章 うわさは信じてよいものか
- 第3章 どの専門家を信じればよいのか
- 第4章 マスメディアはネットよりも信じられるのか
- 第5章 陰謀論を信じてはいけないのか
- 終 章 真偽への関心は失われていくのか
- あとがき
- 参考文献
美馬達哉『臨床と生政治』青土社
現場から浮かびあがる〈医〉の思想史
医療の専門職化の過程は反精神医学の歴史といかに結びつくのか。ゲノム編集ツール・CRISPR-Cas9は何をもたらしているのか。ニューロダイバーシティの思想と医療・ケアをめぐるジレンマとは。職場のストレスチェックとセルフケアの関係とは何か。臨床のあり方を問い直し、生政治の現在地をみつめる全16講。
coming soon…
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