千葉雅也『センスの哲学』文藝春秋
服選びや食事の店選び、インテリアのレイアウトや仕事の筋まで、さまざまなジャンルについて言われる「センスがいい」「悪い」という言葉。あるいは、「あの人はアートがわかる」「音楽がわかる」という芸術的センスを捉えた発言。
何か自分の体質について言われているようで、どうにもできない部分に関わっているようで、気になって仕方がない。このいわく言い難い、因数分解の難しい「センス」とは何か? 果たしてセンスの良さは変えられるのか?
音楽、絵画、小説、映画……芸術的諸ジャンルを横断しながら考える「センスの哲学」にして、芸術入門の書。
フォーマリスト的に形を捉え、そのリズムを楽しむために。
哲学・思想と小説・美術の両輪で活躍する著者による哲学三部作(『勉強の哲学』『現代思想入門』)の最終作、満を持していよいよ誕生!
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さて、実は、この本は「センスが良くなる本」です。
と言うと、そんなバカな、「お前にセンスがわかるのか」と非難が飛んでくるんじゃないかと思うんですが……ひとまず、そう言ってみましょう。
「センスが良くなる」というのは、まあ、ハッタリだと思ってください。この本によって、皆さんが期待されている意味で「センスが良くなる」かどうかは、わかりません。ただ、ものを見るときの「ある感覚」が伝わってほしいと希望しています(「はじめに」より)。
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- はじめに 「センス」という言葉
- 第一章 センスとは何か
- 第二章 リズムとして捉える
- 第三章 いないいないばあの原理
- 第四章 意味のリズム
- 第五章 並べること
- 第六章 センスと偶然性
- 第七章 時間と人間
- 第八章 反復とアンチセンス
- 付録 芸術と生活をつなぐワーク
- 読書ガイド
- おわりに 批評の権利
菅豊編『ヴァナキュラー・アートの民俗学』東京大学出版会
ヴァナキュラーを知らずして、現代の多様な文化現象を把握することはできない。普通の人びとのありきたりで、平凡な日常世界での創作活動=ヴァナキュラー・アートを民俗学的視点から浮かび上がらせる未完のプロジェクトとしてのヴァナキュラー文化決定版論集。
- 序章 ヴァナキュラー・アートと民俗学(菅 豊)
- Ⅰ ヴァナキュラーなアート理論
第1章 ヴァナキュラー・アートとは何か?:「小さきものの芸術」へのまなざし(菅 豊)
第2章 現代美術の民俗学的転回:ヴァナキュラー・アートと限界芸術(福住 廉)
第3章 「ヴァナキュラー」と「アート」の「あいだ」に:大正・昭和初期における余技・南画家たちの暮らしと実践(塚本麿充)
第4章 〈アート〉における「ヴァナキュラー」/「グローバル」:フェスティヴァルの考察から(小長谷英代)
第5章 占領期ヴァナキュラー写真を浮上させる:米国での調査をもとに(佐藤洋一) - Ⅱ ヴァナキュラーなアート実践1 造形
第6章 超老芸術論:レジリエンスとしての表現(櫛野展正)
第7章 おかんアート:人生における創作活動や技能の蓄積を日常生活で可視化する(山下 香)
第8章 ペンギンがやってきた町:ヴァナキュラーなお土産文化(加藤幸治)
第9章 お地蔵さまにマフラーを:ヴァナキュラー・アートによる信仰実践(西村 明) - Ⅲ ヴァナキュラーなアート実践2 表演
第10章 祭礼アートとしてのつくりもの:タピオカと紫芋フレークの現代民俗芸術論(塚原伸治)
第11章 島の地産地〈笑〉論:ヴァナキュラーに笑い合う余興笑芸人たち(川田牧人)
第12章 歌わずにはいられない人々:在日フィリピン人の歌コンテスト「ウタウィット」(米野みちよ)
第13章 ヴァナキュラーな踊りの価値と、その限界:大里七夕踊の休止をめぐって(俵木 悟)
清塚邦彦『絵画の哲学―絵とは何か、絵を見る経験とは何なのか』勁草書房
絵は事物を描き出し、私たちはその平らな表面に、そこにはない事物の姿を見る。絵の意味作用を探究し、絵を見る経験の本性に迫る。
絵とは、その表面の形状を通して、そこにないものを見せる装置である。本書では、絵とは似姿であるとする類似説のほか、ゴンブリッチ、グッドマン、ウォルハイム、ウォルトンらによる、現代の分析哲学における描写や画像表象をめぐる代表的な議論を参照し、その検討と評価を通して絵の基本的な意味作用の本性と由来を探る。
- はしがき
- 序 論 予備的な考察
- 第一章 絵は似姿であるか――類似説の検討
- 第二章 イリュージョンの理論――E・H・ゴンブリッチ
- 第三章 絵画の記号論――N・グッドマン
- 第四章 絵を見る経験の二重性――R・ウォルハイム
- 第五章 視覚的なごっこ遊び――K・L・ウォルトン
- 結 語
- 注/あとがき/文献/挿図一覧/事項索引/人名索引
『Jodo Journal 5―特集「造形思考の現在」』浄土複合
アートとライティングが交差する芸術誌『Jodo Journal』第5号。
巻頭鼎談「かたちを見る、書く、つくる」(千葉雅也、山内朋樹、池田剛介)、レクチャーシリーズ「書くことのプラクティス」(細馬宏通、百瀬文、佐々木敦)、対談「淡々と作り、書くことのラディカリズム」(星野太、池田剛介)を通じて、書くことや作ることの多様な実践をめぐって考える。
特集「造形思考の現在」では、マティスやキュビスム、現代作家の作品制作から、料理することや空間をリフォームすることまで含め、「作ること」の現在を多角的に検討する。また、近年多く見られるようになったリサーチに基づく作品をめぐるクレア・ビショップによる論稿「情報オーバーロード」を特別掲載。
- 巻頭鼎談:かたちを見る、書く、つくる
- 千葉雅也+山内朋樹+池田剛介
- レクチャーシリーズ:書くことのプラクティス
- 細馬宏通 百瀬文 佐々木敦
- 対談:淡々と作り、書くことのラディカリズム
- 星野太+池田剛介
- 特別掲載:リサーチ・ベースド・アートとは何か?
- クレア・ビショップ「情報オーバーロード」
- 特集:造形思考の現在
- マティスの切り紙絵|大久保恭子
- キュビスムのタッチ|松井裕美
- THE COPY TRAVELERS 谷澤紗和子
- ジャグル&ハイド 山川陸 レトロニム
- バイソンギャラリー 田口かおり 他
伊藤穣一, 松本理寿輝『普通をずらして生きる―ニューロダイバーシティ入門』プレジデント社
ニューロダイバーシティという言葉を聞いたことはありますか?
人と話すのは苦手でも、絵やダンスで思いを鮮明に伝えられる人がいます。
ちょっとした音や光で激しく動揺してしまうけど、心が休まる環境さえ与えられれば、高度な計算やプログラミングにずば抜けた能力を発揮する人がいます。
ーー発達障害や自閉症と診断される「非定型」な人は、「標準的」な能力を持つ人とは違うとして「区別」されてきました。しかし、これからは両者が「混ざる」ことでこそ社会が変化します。
脳神経の多様性、すなわちニューロダイバーシティのありかたを教育に実践する二人が語る多様性社会の最新デザイン。
これからの教育から地域社会、組織を前進させるための、「普通」をずらしていくドキュメントです。
【出版社からのコメント】
教育のパラダイムシフトが起きようとしています。ニューロダイバーシティという新しい考え方によって。脳神経(ニューロ)の多様性(ダイバーシティ)を尊重する環境を、学校がデザインすることでどんな奇跡が生まれるのか。
未来を提言し続ける伊藤穰一さんと、先進的な教育実践者・松本理寿輝さんによる、刺激的な一冊です。
- 序章 ニューロダイバーシティとは何か?
- 第1章 「変わってる」を肯定する保育園
- 第2章 ダイバーシティはなぜ必要なのか
- 第3章 「孤育て」から「共育て」へ
- 第4章 「ニューロダイバーシティの学校」を作る
- 第5章 web3はニューロダイバーシティに何をもたらすのか
- 終章 「経験」が求められる時代へ
町田康『くるぶし』COTOGOTOBOOKS
諦めろおまえは神の残置物祈りとしての恥を楽しめ ──
町田康、初の短歌集。書き下ろし全352首を収録。
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戀人を山に埋めて音樂は四日前から村に漂ふ
花活けて横に巻き寿司現代詩捨ててしまつた夢の置き床
突き指が趣味だと言うたあのひともいまは入間でゴミを食べてる
気い狂てアキレス腱をわがで切り這うて行こかな君の近傍
阿呆ン陀羅しばきあげんど歌詠むなおどれは家でうどん食うとけ
迷惑か? 俺は男だマンナくれ夏場体調崩すかもです
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