福尾匠『ひとごと―クリティカル・エッセイズ』河出書房新社
◎伊藤亜紗氏推薦!
何かに魅入られる。その魔法の時間を引き伸ばすことが批評であったような時代に、本書は終わりを告げる。いったん魅入られたならば、魔法が去ったあとの醒めた体が何事かを語り出す。本書はそのことを証明する。
◎内容
何かを発言することが通販サイトの商品ページに足跡を残すことと大差なくなってしまったこの時代に、〈書く〉ことの意味はいかにして立ち上げなおされるのか――『非美学』の若き哲学者による渾身の批評=エッセイ集。書き下ろし序文と巻末の著者解題も必読!
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道徳も真理も腐りきっているとしたら、いったいひとは何を拠り所にして生きていけばよいのか。そんなものはない。しかしそれはたんに人生の厳しさであるだけでなく、楽しさや喜び、あるいは優しさの条件であるだろう。雑多な文章が収められたこの本に通底するのは、「ひとごと」との距離のうちにある、そのようなポジティブな条件の探究である。――本文より
- スモーキング・エリア#1 煙草と同じくらい分煙が好き
- 100パーセントの無知の男の子と出会う可能性について
- 非美学=義家族という間違った仮説をもとに
- ポシブル、パサブル――ある空間とその言葉
- スモーキング・エリア#2 音響空間の骨相学
- コントラ・コンテナ──大和田俊《Unearth》について
- プリペアド・ボディ――坂本光太×和田ながら「ごろつく息」について
- スパムとミームの対話篇
- スモーキング・エリア#3 僕でなくもない
- やさしさはひとにだれかのふりをさせる――大前粟生『私と鰐と妹の部屋』について感じたらこの法螺貝を吹いてください――『全裸監督』について
- 異本の論理――アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』について
- 絵画の非意識――五月女哲平の絵画について
- 失恋工学概論
- スモーキング・エリア#4 時間の居残り
- 見て、書くことの読点について
- テーブルクロス・ピクチャープレーン――リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展について
- 日記を書くことについて考えたときに読んだ本――滝口悠生『長い一日』について
- ひとんちに日記を送る
- Tele-visionは離れて見てね
- 画鋲を抜いて?がれたらそれは写真――迫鉄平「FLIM」展について
- ジャンルは何のために?――絵画の場合(千葉正也、ロザリンド・クラウス、本山ゆかり)
- スモーキング・エリア#5 痛み、離人、建て付けの悪い
WORKSIGHT編集部『WORKSIGHT―アジアのほう Towards Asia』学芸出版社
わたしたちはずっと西に憧れ、西を目指してきた。時代は変わってカルチャーのフロントラインはアジアに移行しつつある。サイケデリック、ヒップホップ、フットボールカルチャー、インディパブリッシャー、そしてアジアにおけるジャパニーズカルチャーの現在まで、アジアでアジアをみつめる、新しい時代の証言
- 新しいアジアのサイケデリクス
選=Go Kurosawa
ロッテルダムを拠点にアジアの音楽を発信するレーベル・Guruguru Brainの Go Kurosawaが紹介する新しいアジアのクリエイティブの一端。 - 巻頭言 ひとつに収束しない物語
文=山下正太郎(本誌編集長) - アジアのほう
対談:TaiTan(Dos Monos)×Go Kurosawa(Guruguru Brain)
この150 年ほど、日本は遠く欧米を眼差し、その文化を取り入れることで自分たちの社会を形成してきた。状況は少しずつ移り変わり、眼前のアジアに新しい文化がうごめくのを日々目撃するようになった。日本/アジア/欧米を股にかけて活動するアーティストふたりが考える、「アジアのほう」の見つめ方。 - イースタンユースの夜明け
Eastern Margins/bié Records/Yellow Fang/ Orange Cliff Records/Yao Jui-Chung
かつて欧米が絶大な影響力を誇ってきたグローバルカルチャーが分散化しながら多極化しているいま、カルチャーをめぐる新しい潮流がアジアから生まれつつあるのかもしれない。 アジアの変化を最前列で見ながら、まだ見ぬカルチャーのありようを切り拓いてきた5人のフロントランナーに訊いた。 - 北京のインディ番長、阿佐ヶ谷に現る mogumogu から広がるオルタナティブ・コミュニティ
100年ほど前、川端康成らが居を構えて阿佐ヶ谷文士村を形成したエリアに、2023年オープンした中国インディ音楽のショップ/ライブハウス「阿佐ヶ谷 mogumogu」。中国、日本、さらには世界へ。アットホームな空気感のままに広がるインディでオルタナなネットワーク。 - Dirt-Roots サッカーでつながるコレクティブ
サッカーは世界の共通文化だ。とはいえ「フットボールカルチャー」 を草の根で盛り上げているローカルなコミュニティは分断し、孤立していた。ところが近年、クリエイターを中心としたコミュニティが国境を越えてつながり始めている。日本のフットボールカルチャーマガジン『SHUKYU Magazine』が韓国・タイ・インドネシア・中国の仲間と立ち上げた、汎アジア的蹴球文化プラットフォーム「Dirt-Roots」。それはいかにして生まれ、いかに育っていくのか。『SHUKYU Magazine』編集長の大神崇に訊いた。 - アジアンデザイナーたちの独立系エディトリアルズ
「デザイン」を超えて、出版・編集の領域へと踏み出すアジアのデザイナーたち。
「本」というアナログな表現形式のなかに新たな可能性を見いだす10組のインディパブリッシャーたちの挑戦。 - テラヤマ・ヨコオ・YMO
中国で愛される日本のアングラ/サブカル
カルチャー大国ニッポンが最も輝いていた1960~80 年代の「アングラ」な文学やアート、映画、音楽が、いま中国の若きクリエイターや編集者たちの間で、大きな注目を集めている。寺山修司、横尾忠則、YMOといった戦後日本を代表する文化アイコンに、彼ら/彼女らはなぜ魅せられるのか。上海在住歴8年、中国で自著も刊行する日本人編集者が取材した。 - ブックガイド:百年の彷徨 アジアを旅した者による本の年代記
1世紀という時間をかけて、日本の人びとはアジアの地を訪れ、何かを理解し(たような気になり)、その知見を伝えてきた。
そして日本もまた、海外からの眼差しの対象として存在する。旅行、仕事、調査に戦争……訪れる目的はさまざまだ。掴んだと思えば手からすり抜けるアジア、せめてその尻尾へとたどり着くための60 冊。 - ロスト・イン・リアリティ
MOTE のアジアンクラブ漂流記
2018年、雑誌のアジア特集の取材を機に、アジアのクラブカルチャーに足を踏み入れた編集者・石神俊大は、気づけば自らもDJとなって、その深みのなかへと埋没していった。大文字の「カルチャー」とは一線を画した、ローカルで猥雑な異世界としてのクラブ。無力感とあてどなさを頼りに見つけ出した、自分たちには立ち入ることのできない、アジアの未知なるリアリティ。
小山内園子『〈弱さ〉から読み解く韓国現代文学』NHK出版
物語のなかの〈弱さ〉が、読む人の心に光を灯す
どの作品も、〈弱さ〉を正面から描いているから――。
著者が数々の作品の翻訳を手掛けるなかで、「なぜ韓国現代文学に魅せられるのか」を自らに問い、深く考えてたどり着いたのが、この答えでした。
〈弱さ〉とは、自らの意志とは関係なく選択肢を奪われた状態のこと。その視点で、『82年生まれ、キム・ジヨン』をはじめとする多彩な13の作品を読み解きながら、そのメッセージを探り、魅力を掘り下げます。一つひとつの物語を丁寧にたどっていくと、この暴力的な現代社会を生きるための道が照らし出されるはずです。
2023年1月~3月にNHKラジオ第1「カルチャーラジオ 文学の時間」で放送された同名の講座、待望の書籍化!
- 第一章:試練の歴史と作家のまなざし――パク・ミンギュ『亡き王女のためのパヴァーヌ』
- 第二章:ある女性が〈ひとり〉になるまでの物語――チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』
- 第三章:性暴力を「信じてもらえない語り」で描く――カン・ファギル『別の人』
- 第四章:「普通」の限界、クィア文学が開けた風穴――パク・サンヨン『大都会の愛し方』
- 第五章:経済優先社会で行き場を失う労働者――孔枝泳『椅子取りゲーム』
- 第六章:植民地支配下、声を上げる女たちの系譜――パク・ソリョン『滞空女 屋根の上のモダンガール』
- 第七章:民主化運動、忘却に静かに抗う――キム・スム『Lの運動靴』
- 第八章:セウォル号沈没事件・キャンドル革命と〈弱者〉――ファン・ジョンウン『ディディの傘』
- 第九章:「子どもが親を選べたら」少子化が生んだ想像力――イ・ヒヨン『ペイント』
- 第十章:社会の周縁から人間の本質を問う――キム・ヘジン『中央駅』
- 第十一章:あり得たかもしれない、ハッピーエンドの物語――チョン・セラン『シソンから、』
- 第十二章:高齢女性の殺し屋が問いかける〈弱さ〉――ク・ビョンモ『破果』
- 第十三章:弱くある自由を叫ぶ――チョ・ナムジュ『私たちが記したもの』
- 〈弱さ〉から始まる未来を想像する――あとがきにかえて
北村匡平『遊びと利他』集英社
【「コスパ」と「管理」から自由になるために】
「コスパ」「タイパ」という言葉が流行し、職場や教育現場、公共施設や都市でも管理化が進む昨今。
そうした流れは子供たちが遊ぶ「公園」にも押し寄せている。
かつての遊具たちは安全性を理由に撤去・改装がおこなわれ、年齢制限・利用回数制限も定着しはじめた。
社会に蔓延する効率化・管理化に抗うにはどうすればいいのか。
そのヒントは「利他」と「場所作り」にある。
東京科学大学の「利他プロジェクト」において、全国の公園と遊具のフィールドワークをしてきた著者が、自由と想像力を養う社会の在り方を考える。
- 序 章 21世紀の遊び場
- 第一章 利他論――なぜ利他が議論されているのか
- 第二章 公園論――安全な遊び場
- 第三章 遊び場を工学する――第二さみどり幼稚園
- 第四章 遊び場を創り出す――羽根木プレーパーク
- 第五章 森で遊びを生み出す――森と畑のようちえん いろは
- 第六章 遊学論――空間を組み替える
- 第七章 学びと娯楽の環境
- 終 章 利他の場を創る
川村邦光『家族写真の歴史民俗学』ミネルヴァ書房
これまで記念的に撮影される「家族写真」の多くは画一的で凡庸と見なされ、写真史や美術史においては注目されてこなかった。一方で、近年では災害や社会不安が続くなか、家族の記録や絆の象徴としての意義を再評価する向きもあり、家族史やジェンダー論の研究の進展から、新たな視点でも関心が高まっている。本書では、一九世紀から現代に至るまでの家族写真の構図や撮影された背景を分析し、社会における家族の表象、また個人が過去や死者と向き合う際のよすがとしての「家族写真」を再考する。?
- 序 章 鶴見良行の家族写真論から
- 第Ⅰ部 家族写真の来歴と展開
第一章 欧米の家族写真
第二章 日本の家族写真の来歴
第三章 日本の家族写真の展開
第四章 家族写真の変容
第五章 子供写真と家族写真の存続 - 第Ⅱ部 家族写真の写す社会と個人
第六章 天皇の家族写真
第七章 アマチュア写真家のスタイル――塩谷定好の抒情派子供写真
第八章 ドキュメンタリー家族写真――社会生活派の影山光洋
第九章 家族写真のアート化と変貌
第十章 家族写真スタイルの現在と諸相――多様化/複数化
終 章 故人史を妄想する - 参考文献/あとがき/人名索引/事項索引
川瀬慈『エチオジャズへの蛇行』株式会社音楽之友社
エチオジャズ!? それは、エチオピア音楽を震源とする世界の交響。エチオピアの帝政末期(1960年代末~1970年代初頭)に、エチオピア北部のペンタトニックスケール(五音音階)を基調とするエチオジャズが生み出される。それは「エチオピークEthiopiques」シリーズを通してひろまり、各国のミュージシャンやリスナーたちを熱狂させ、大きな影響を与え続けている。エチオジャズは、どんな定義もすり抜け、今日も新たな音楽を生成させていく。
20年以上エチオピアに通う映像人類学者が、自身の逍遥、音楽家との交流を軸に、写真、音源紹介を含めて魅惑の音楽世界を案内する。「エチオジャズとは何か?」と題した、文化人類学者・鈴木裕之氏との対談も収載。
- はじめに─―世界は創発し続けるフリージャズ
- 刺青
- フランシスとの出会い
- シェレラ・サックス
- ムラトゥ・アスタトゥケとの会話
- アルメニアの孤児たち
- 文化芸術のコンダクター、皇帝の光と影
- アズマリのジャズ
- 創造的な結合
- 東京、なじみある異郷
- [対談]エチオジャズとは何か?─―「エチオピークEthiopiques」が起こしたムーブメントを中心に 川瀬慈×鈴木裕之
- エチオジャズ関連年表/あとがき/参考文献/写真説明
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