- ボリス・グロイス『ケアの哲学』人文書院
- 斉藤章佳『男尊女卑依存症社会』亜紀書房
- 山口みどり, 中野嘉子編『憧れの感情史―アジアの近代と〈新しい女性〉』作品社
- 荒川歩, 鈴木公啓,木戸彩恵『〈よそおい〉の心理学―サバイブ技法としての身体装飾』北大路書房
- ルイシュ・カブラル『企業の経済学―産業組織論入門』日本評論社
- 前田裕之『データにのまれる経済学―薄れゆく理論信仰』日本評論社
- ヴォルフガング・シュルフター『官僚制的支配の諸相―マルクスとヴェーバーの先進産業社会解釈とその批判的論議』風行社
- 隅田聡一郎『国家に抗するマルクス―「政治の他律性」について』堀之内出版
- Saku Yanagawa『スタンダップコメディ入門―「笑い」で読み解くアメリカ文化史』フィルムアート社
ボリス・グロイス『ケアの哲学』人文書院
ビッグデータ時代に象徴的身体が開く新たな自己
私たちは物理的身体だけではなく、データの集合としての自己を形成する象徴的身体を持っている。現代におけるケアを考えるとき、両方の身体を視野に入れる必要があるのではないか。人間が自らの生存に配慮するセルフケアを行うとき、国家による生政治としてのケアに抵抗する別の可能性が開かれる。美術批評の世界的第一人者グロイスが、これまでの仕事の延長上で新しいケア概念を提起し、プラトン、ソクラテスからヘーゲル、ニーチェ、バタイユ、ハイデガー、アレントなど数々の哲学を独自の視点からケアの哲学として読み替える。
「セルフケアの主体が、身体に関する医療、政治、行政の議論に積極的に参加することは、医療の知識を含むケアに関する知識を、無知の立場から判断する能力を前提とする。異なった科学の緒学派が、承認、影響力、名声、権力を求めて競っている。それらは全て知識の立場から個人をケアすることを要求する。個人である主体は、選択を行うのに必要な知識を持たずに、それらの中から選ばなければならない。それは主体に弱さと当惑を感じさせる。しかし同時にこの弱さは強さでもある。なぜならば、あらゆる種類の知識は、受け入れられ実践されさえすれば、強力になるからだ。哲学の伝統はこの弱さと強さのアンビバレンスを反映する伝統として理解しうる。様々な哲学の教えは、ケアとセルフケア、依存と自律のさまざまなタイプの関係性を示唆している。」(本書より)
- はじめに――ケアとセルフケア
- 1 ケアからセルフケアへ――プラトン、ソクラテス
- 2 セルフケアからケアへ――ヘーゲル
- 3 大いなる健康――ニーチェ
- 4 ケアテイカーとしての賢人――コジェーヴ
- 5 至高の動物――バタイユ
- 6 汚染する聖なるもの――カイヨワ
- 7 ケアテイカーとしての人民――ドゥボール
- 8 誰が人民なのか?―― ワーグナー
- 9 現存在であることとしてのケア――ハイデガー
- 10 掃除婦の眼差しのもとで――フョードロフ
- 11 仕事と労働――アレント
- 12 革命のケア――ボグダーノフ
- 訳者解題
- 人名索引
斉藤章佳『男尊女卑依存症社会』亜紀書房
ついに解明された国民病。男性に重い下駄を履かせて死ぬまで働かせ、女性には報われないケア労働を押し付けてきた日本。男も女も苦しい社会を変えるために、しんどいあなたが楽になるために、必読の書です。
アルコール、薬物、痴漢、万引き、DV……。さまざまな依存症に共通する原因は社会構造にあった!ジェンダー・ギャップ指数を見るまでもなく、日本は男性優位の国である。夫婦別姓も叶わず、男女の賃金格差も世界ワースト2。わたしたちは性別役割分業──つまりは「男尊女卑」の考え方にどっぷりと浸かっている。
その社会を勝ち抜こうと男たちはワーカホリックになるまで働いて、ストレスからアルコールや薬物で気分をあげ、満員電車では痴漢や盗撮にはまる。日本を蝕む依存症の問題は、男尊女卑による社会の歪みを正さなければ解決しない。
〈依存症は男らしさ、女らしさの病〉アルコール依存症、痴漢、万引き依存症、盗撮、DVなど、多くの依存症を横断的に見てきた著者が、現代日本の病理を斬り、新しい人と社会のあり方について考える。
- まえがき──男尊女卑社会が依存症を生む
- 1章……日本は男尊女卑依存症社会である
男尊女卑依存社会が依存症を生む
男性優位の社会構造
らしさの価値観をインストールされる
依存症とワーカホリック
ワーカホリックは病気か?
死にいたる働き方
過労死について - 2章……男尊女卑社会とワーカホリック
ワーカホリックはさまざまな依存症のトリガーに
仕事と飲酒
依存症と人間関係
条件付けと報酬系の仕組み
人は生き延びるために依存症になる
依存症と自尊感情
ワーカホリックと自尊感情
ワーカホリックと認知の歪み
加害者家族が抱える苦悩から見える世界 - 3章……ワーカホリックと性別役割分業
男性に履かされた下駄の重さ
いまだに続く男は仕事、女は家庭に
依存症は男らしさ、女らしさの病
らしさへの過剰適応 - 4章……「男らしさの病」と男尊女卑依存症社会からの脱却
シラフで生きること
感情をみつめる
回復のためのガイドライン - あとがき
山口みどり, 中野嘉子編『憧れの感情史―アジアの近代と〈新しい女性〉』作品社
19世紀から20世紀にかけては、増幅するスペクタクルのなかで「憧れ」の経済価値が高まり、「憧れ」の形を戦略的に操作した時代である。この「憧れ」の構築する近代に、女性たち、とくに既存の価値観を乗り越えようとする「新しい女性」たちはどうかかわったのだろうか。本書は、国内・海外の研究者たちが共同で、「憧れ」とジェンダーを軸に歴史を読み解く。
「憧れ」とは理想とする物事や人物に強く心惹かれる感情を指すが、日本語の語源「あくがる」は、本来いる場所を離れてさまようことを意味し、ここから物事に心を奪われうわの空になる状態を示す言葉へと変わっていった。個々人の感情としての「憧れ」は、欲望、反発、打算、幻滅、嫌悪等、さまざまな感情を誘発する。近代に顕著な発達をみた教育、商業、広告業、メディアは、「憧れ」を育てあるいは制御する手段でもあり、人びとの「憧れ」をどう摑むかがこの時代の課題であったことを示している。(本文より)
- 序章 “憧れ”が動かす近代―新しい女性現象をめぐる感情のダイナミズム
- 第1部 「新しい女性」の誕生(アジアに見せたい、アジアを魅せたい―「新しい女性」とイギリス国教会の宣教戦略;ヴェールを外すこと―“憧れ”にうつるエジプトの近代;“憧れ”を喚起し醸成する装置―オランダ領東インド初の現地語女性誌『プトリ・ヒンディア』;ビルマの「新しい女性」とコロニアルな視覚文化―破壊的近代性とエキゾチックな原始性の魅惑と動揺)
- 第2部 「新しい女性」の戸惑い(在日本朝鮮人女子留学生たちの秘められた“憧れ”―雑誌『女子界』と金瑪利亞の個人史を中心に;「満洲」というファンタジーの創出と空転―宝塚少女歌劇『満洲より北支へ』(一九三八年)
「国父」家族のスキャンダル―アタテュルクの養女ウルキュにみる“憧れ”とその反転
戦後日本の“スチュワーデス”―アメリカ人に習ったモダンと着物で背負ったジャパン) - 第3部 「新しい女性」の問いかけるもの(ショップガール―イギリスと諸外国におけるモダニティと「新しい女性」)
荒川歩, 鈴木公啓,木戸彩恵『〈よそおい〉の心理学―サバイブ技法としての身体装飾』北大路書房
なぜ,私たちは今日も〈よそおい〉続けるのか? 日常生活をサバイブするための〈心理的社会的機能〉の観点から探る。「普段の役割を降りるツール」「自他の関係調整ツール」「空間形成参与行動」「ジェンダーワーク」といった機能に着目しつつ,衣服,化粧,ピアッシング,痩身,美容整形などの〈よそおい〉行為を考察。
- はじめに
- PART 1サバイブ技法としてのよそおい
01 普段の役割を降りるツールとしてのよそおい
02 バージョンアップとしてのよそおい
03 本来の自己を取り戻すツールとしてのよそおい
04 遊びとしてのよそおい
05 工夫対象としての身体のよそおい
06 自他の関係調整ツールとしてのよそおい
07 空間形成参与行動としてのよそおい
08 ジェンダーワークとしてのよそおい
09 自己ブランディングとしてのよそおい、ふたたび - PART 2 探索空間としてのよそおい
10 メディア空間をとおしてのよそおいナラティヴの探索
11 よそおいの購買行動
12 毎日の服の選択行動 - おわりに
ルイシュ・カブラル『企業の経済学―産業組織論入門』日本評論社
評価の高い、産業組織論の入門書(原著第2版)の翻訳。理論はもとより、豊富な事例と実証分析で、企業の行動原理を解明する。
- 第1章 産業組織論とは何か
第1部 ミクロ経済学の基礎
第2章 消費者
第3章 企業
第4章 競争,均衡,効率性
第5章 市場の失敗と公共政策
第6章 価格差別 - 第2部 寡占
第7章 ゲームと戦略
第8章 寡占
第9章 共謀と価格戦争 - 第3部 参入と市場構造
第10章 市場構造
第11章 水平合併
第12章 市場閉鎖 - 第4部 非価格戦略
第13章 垂直的取引関係
第14章 製品差別化
第15章 イノベーション
第16章 ネットワーク
前田裕之『データにのまれる経済学―薄れゆく理論信仰』日本評論社
理論偏重から実証分析重視へと変貌を遂げた経済学。その変貌の経緯と、理論と実証の狭間で苦闘してきた経済学者たちの足跡を追う。
- 序 章 データの波にのまれる経済学界
- 第1章 ノーベル経済学賞と計量経済学、つかず離れずの歴史
- 第2章 主役に躍り出た実証分析
- 第3章 因果推論の死角
- 第4章 RCTは「黄金律」なのか
- 第5章 EBPMの可能性と限界
- 第6章 消えゆくユートピア
ヴォルフガング・シュルフター『官僚制的支配の諸相―マルクスとヴェーバーの先進産業社会解釈とその批判的論議』風行社
サン=シモンからハーバーマスに至る様々な議論がヴェーバーの政治社会論といかに関わっているかを逐一検討しつつ、マルクスとヴェーバーの官僚制や民主制に対する見解の相違を浮き彫りにし、ヴェーバーの官僚制的支配論の理論的実践的射程を測る。
- 謝辞
- 新版への序文
- 凡例
- 序論
- 第一章 人間に対する統治から物の管理へ──完全な階層制
- 第二章 人間に対する統治から物の管理へ──完全なアソシエーション
- 第三章 「古い」ジンテーゼ──官僚制的民主主義
- 第四章 補論──職務の権威、専門の権威、そして民主的制御
- 第五章 人間に対する統治から人間の管理へ──技術的社会
- 第六章 人間に対する統治から人間の管理へ──一次元的社会
- 結語
- 原注
- 訳者あとがき──解題に代えて
- 人名索引
隅田聡一郎『国家に抗するマルクス―「政治の他律性」について』堀之内出版
国家と資本はどのようにして乗り越えられるのか──?
百年以上にわたるマルクス主義国家論の変遷を追うとともに、マルクスを一九世紀社会主義・共産主義の歴史的文脈に位置づけなおし、未完の国家批判プロジェクトに迫る!気鋭の研究者による初の単著。
- はじめに フーコーからマルクスへ?
- 第一部 マルクスの国家批判
第一章 未完の国家批判 「国家導出論争」再考
第二章 近代国家とブルジョワ社会 国家批判からポリティカル・エコノミー批判へ
第三章 無産国家 資本主義の政治的形態
第四章 法=権利形態とイデオロギー批判 マルクスとパシュカーニス - 第二部 「資本の国家」をこえて
第五章 近代国家から「資本の国家」への移行 「ブルジョワ国家」の可能性と限界
第六章 階級闘争と国家形態 「社会国家」の可能性と限界
第七章 資本主義世界システムの政治的形態 「資本の帝国」と地政学的対立
第八章 国家に抗するデモクラシー 「アソシエーションの政治的形態」の発明 - おわりに 可能なるアセンブリ・コミュニズムへ
- あとがき
- 参考文献
Saku Yanagawa『スタンダップコメディ入門―「笑い」で読み解くアメリカ文化史』フィルムアート社
ミンストレル・ショーからクリス・ロックまで知られざる一大エンターテインメントの180年史!
わかりあえない他者とわかりあうため
社会の矛盾と差別に抗うため
変わりゆく社会と分断のなかで
コメディは一体何を表現してきたのか?
世界の舞台で活躍するスタンダップコメディアンSaku Yanagawaが語る!
本書は、アメリカを拠点に活動し、フジロックのメインステージにMCとして出演、2021年フォーブス・アジアの選ぶ「世界を変える30歳以下の30人」にも選出されたスタンダップコメディアン、Saku Yanagawaによるスタンダップコメディの入門書です。
アメリカのエンターテインメントの源流であり、スタンダップコメディの先駆けとなったミンストレル・ショーから、専門劇場であるコメディ・クラブの誕生、テレビからインターネットへの変遷まで、「笑い」からアメリカ文化と歴史をひも解いていきます。
近年、SNSでの炎上やそれに伴うキャンセル・カルチャー、あらゆる分断の可視化が目立っていますが、本書では日本人・アジア人ならではの視点と、異国の地で10年以上ステージに立つ現役のコメディアンとしての立場から、学術的な見地を用いて「コメディが表現してきたこと」を解説しています。
コメディ俳優としても知られているロビン・ウィリアムズ、エディ・マーフィ、ジム・キャリー、ウーピー・ゴールドバーグなど、スタンダップコメディアンとしてキャリアをスタートさせた著名人は多いものの、日本ではあまり馴染みのないスタンダップコメディについて、その定義や基礎知識、アメリカにおけるその受容と成り立ちの歴史を紹介し、スタンダップコメディとは何かに迫る内容です。
巻末付録としてスタンダップコメディ年表および、用語辞典を収録。スタンダップコメディを深く理解するための情報が詰まった、入門書かつ決定版となる一冊です。
- はじめに
- 第1章 スタンダップコメディとは何か
スタンダップコメディの定義/スタンダップコメディアンとは誰か?/コメディ・クラブ/コメディ用語/成功までの道のり/パフォーマンスとしてのスタンダップ - 第2章 コメディ・クラブ誕生への道──スタンダップコメディの歴史I
ミンストレル・ショー/ユーモリストと講演/ヴォードヴィルの時代/レビューとバーレスク/ラジオとトーキー/ナイト・クラブの興隆/ボルシチ・ベルトとユダヤ系コメディアン/リゾート開発と新しいステージ/テレビへの進出/新しい世代のコメディアンたち/コメディ・クラブの誕生 - 第3章 テレビからインターネットへ──スタンダップコメディの歴史 II
一九七〇年代──検閲とHBOの登場/一九八〇年代──コメディ・ブーム到来/黒人コメディの歴史/一九九〇年代──オルタナティヴ・コメディの時代/二〇〇〇年代──インターネットの時代/二〇一〇年代──ネットフリックスの台頭 - 第4章 「笑い」を決めるのは誰か──スタンダップコメディの現在
ウォーク・カルチャーとキャンセル・カルチャーの時代/キャンセルされたマジョリティ/キャンセルされたマイノリティ/分断とコメディ/他者への〝いじり〟と自虐 - おわりに
- 参考文献
- スタンダップコメディ年表
- スタンダップコメディ用語辞典
- 人名索引
comment